それは
「常識を疑う」ってことが大切で、人生において「自分のタガを外せる」ってことがいかに想像の向こう側へ行くのに必須能力か。
ということを話していこうと思います。
僕は来年の2月でニューヨークに住み始めて丸5年になるんですが、
来たばかりの時はほんとに何もできなくて、その中で特に出来なかったのがコミュニケーション。
僕の住んでる町ってのが世界で一番多民族が暮らしていて、
隣はメキシコ人、下の階は頭に布グルグル巻きのインド人
とかそういうことがザラにあって、もうそんな日常が当たり前というか。
はじめの1、2年は共通の話題がある同じミュージシャンでさえ、ずっとうまくコミュニケーション出来ないし、
関係作れないし、「俺の英語がまだまだあかんねんなぁ」なんて落ち込みに落ち込んでたんですが、
ある時その根本原因が英語だけではなく、
常識の違いであるということに気がついたんです。
スーパーで買い物すれば買った商品は投げるように袋に詰め込まれるし、
レストランに行けば叩きつけるように皿を出され、
道を尋ねたら怒ったような顔をされ、
焦っていたらめっちゃ親切に道案内をされる。
もう〜なんやねん!感情弄ぶやん!そういうのめっちゃ疲れるわw
ってなってたんです。
こういうことはほんの例の一部で、
死ぬほど毎日こういう「なんでやねん」が起きるわけです。
でもこれって英語のせいじゃないやんと。
そうや、常識が違うからなんや。と気がつかせてくれる出来事でした。
彼ら別に機嫌が悪くて、怒り狂って買った商品を袋に投げ入れてるわけじゃないんやと。
それに気づいてからは
常識って人によってめちゃくちゃ種類がある。
ってことに気づいたんです。
僕は今まで1つの価値観でしか物事見てなかったし、学校や親から習った常識の範囲内でしか生きてこなかったから、
その時あらゆる種類の常識を知ることは自分の武器になる。と確信しました。
なるほどと、これが本当の「世界が広がる」という意味かと体感した瞬間でもありました。
日本にいるとみんな同じ価値観で常識でやってるから、
みんな同じ行動をし同じ結果になる。
もちろんだからこそうまくコミュニケーションが取れるんですが。
でも、どこかで我慢してる。
本当はその親や先生、社会に刷り込まれた常識が自分に全然フィットしてないのに、
常識は疑えるもので、常識はたくさん種類があるもの、
って認識がないからイヤイヤその型に当てはめようとしてる。
そしてそんなこと続けてるうちにだんだんと本当は自分はその考えが嫌だったことすらも麻痺して忘れてしまう。
という現象が日本全国で死ぬほど起こってる。
それが出る杭は打たれるとか、空気を読むとかという言葉の本質というか。
もちろんこれらには良い部分もあるので全否定ではないんですが、この話にめっちゃ共感してくれる人ってのも少なくないと思うんです。
これからの時代は確実に「個の時代」になる。
社会に頼れない。会社に頼れない。
そんな時代は想像をはるかに超えるすごいスピードで来てる。
かけ算とかそんなレベルじゃなくて累乗のレベルで。
過去35万年の情報量よりここ10年の情報量の方が多い。
っていう恐ろしい統計データがある。
どれだけ異常なスピードで時代が動き、
今まで人類が体験したことのない時代になるかってことがすぐわかると思います。
だから、
今のままの方法でなんてとても対処できなくて、
完全に豊かさは下降する一方で、より厳しくなる。
ってのは目に見えていて。
だからこそ、そんな不安定な時代だからこそ、
安定だけを求めるのではなく、流れに身を任せられる柔軟さと、会社や人に依存するのではなく、個人がちゃんと価値を提供できるようになること。
(そういう意味でも人生と自己が一致していないといけない)
個人で周りの友達や信頼の置ける同士たちと強力なネットワーク作りながら生きて行く、
というスタイルが当たり前かつ最も強力な武器になる時代になります。
要はこれができないと、
一生自由になんてなれないし、ましてや好きなことで食っていくなんて夢のまた夢。
でも、これ別にネガティブな感じで全然言ってなくて、
よく考えてみればこれって僕らにとってめちゃくちゃよくないですか?w
望むべき形というか。
だって、
好きな人と好きなことして好きなだけ稼げるようになれないと生きていけないよ!
って言われてるのと同じことで。
「いや、もう願ったりかなったりっす!」
って感じですよね?w
でもこんなこと一朝一夕でできるはずなく、
その前提となる知識や思考の土台みたいなものを今からしっかり作っていかないといけない。
だって今までと社会のルールが変わってるんだから。
そして、その一つが
「常識には死ぬほど種類があって、疑えるもので、且つ自分の感性にあう常識にカスタマイズ可能
ってことなんです。
やっと今日一番言いたかったことにたどり着けたw
これ死ぬほど大事。
ここテストに出ませんよ!一生出ませんよ!
でも鬼二重線。
「常識とされていること」と「自分」の間には、「自分とその常識がフィットするのか」を考える、査定する、疑うための「スペース」が存在して、自分と本当に合う要素だけを採用して、「独自の常識」を作ってやる。
要は常識にとらわれず、みんなが言うけど俺は、私は違うと思う!って
めっちゃワガママになっていいってことですw
ってかならないといけない。
ワガママになって初めて自分の本当に気づくというか、自分の生き方、スタイルってのが確立されるわけで。
みんなと同じことやってたら同じ結果になるだけだけで。
本当はこういうことがしたいとか、みんなとは違うけど本当はこういう稼ぎ方がしたい、とか週休5日欲しい。
とか、もうなんでもよくて。
そうやって作った自分のオリジナルの常識をもとに生き方を定めていく。
そんな周りが決めたレールに乗らない。
こういう意識がこれからの時代はマジでめちゃくちゃ大切になってきます。
「個の時代」ではこのワガママが個性になり、それが強力なエネルギーを生み出す武器になります。
「ワガママしてはいけません」の時代から「ワガママしないといけません」の時代に変わる。
今日はそんな感じで。
それでは、また!
【お金に対する”常識”も疑ったほうがいい。】